小泉純一郎首相が、郵政民営化法案反対派の選挙区に「刺客」を送り込み、「小泉劇場」を展開した9月の衆院選では、83人の新人議員が誕生した。大阪で唯一、自民分裂となった大阪2区で3代にわたって地盤を引き継いできた左藤章氏から大金星を挙げたのは、東大卒の元シンガー・ソングライター、川条志嘉氏(35)だった。カリスマ主婦や元財務官僚、奔放発言の杉村太蔵議員らばかりが注目される陰で、永田町の常識に戸惑いながらも地道な活動を続けていた。
「1時間に3つも会合の予定が入ることもあり、想像を絶する忙しさ。あいさつだけで次に行くなんて失礼と思っていたけど、どうしようもなくて…」
インタビュー場所になったJR新大阪駅近くのファストフード店。川条氏はハンバーガーを食べながら、議員になってからの3ヵ月をこう振り返った。
当選後は知事選や市長選などの応援に東奔西走し、睡眠時間は3時間から5時間。川条氏と10年来の付き合いという秘書も「まじめで、おとなしかった女性が突然、ボクシングを始めたような感じ」と例える。
そんなハードスケジュールのなか、10月19日には衆院厚生労働委員会で、アスベスト問題について、初めて質問に立った。政府の認識が甘く、対策が後手に回ったことを指摘し、被害再発防止の徹底、被害者救済の必要性などを訴えた。
しかし、質問作成にあたって驚きを経験した。質問は「他の人の質問と重ならないよう、これまでの議事録に全部目を通す」などして、委員会の前週末2日間徹夜して考えた。ところが、質問相手の厚生労働省などとの事前打ち合わせの席で、官僚側から「質問もこちらで作りましょうか」と言われたという。
「勉強なんか何もしなくても質問できるんですよ。そんな手抜きの方法、知っていてもやらないけど、あったなんてもうビックリ」。委員会でのやりとりが「できレース」であることを初めて知ったという。
一方、「年収は2500万円」などと話、大ひんしゅくを買った同僚の太蔵議員の発言については「給料のうち、党本部や大阪府連に収める額で、いきなり50万円は天引きですよ。(JRなどの)議員パスがなかったら破産してます」と話す。
地元の事務所は、母の稔子さん(76)ら家族に無給で見てもらっている。当選直後は「支えてくれた母にマッサージ器と衣類乾燥機を買ってあげたい」と話していたが、「空手形です。そんなお金がない」と苦笑いする。
議員になって、永田町の常識には戸惑うこともあるが、活動には誇りを感じる。民主党から、くら替えして「刺客」になったのは「少子化対策、女性が家庭と仕事を両立しやすい世の中にするための制度作りと、専業主婦らの声を国に届けることができるのは政権政党しかない」と思ったからだ。
当選以来、内閣部会などさまざまな会合で、地道に訴えていたところ、ようやく自民党新人の勉強会の議題に加えられることになった。猪口邦子少子化対策担当相からも「おかげで異議を唱えていた人たちに納得していただくことができました」と、お礼の電話が掛かってきたという。
「すごくうれしかった。自分の信念、志にあった行動をしているときは、疲れも吹き飛ぶんですよね」。当選から3カ月あまり。議員活動もようやく軌道に乗り始めてきたようだ。
(夕刊フジ・関西版 2005年12月20日付)