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やじるし新人・ベテラン衆院議員座談会
 

 2005年秋の衆院選では、101人の新人議員が誕生した。「小泉チルドレン」と称される自民党の83人は、党内の最大勢力でもある。当選から間もなく4か月。自民、民主両党の新人議員は、永田町をどう見ているのか。その新人の言動は、ベテラン議員の目にどう映っているのか。新人4人と渡部恒三元衆院副議長が語り合った。(司会は政治部・鈴木美潮、文中敬称略)


 ■ なぜ政治家に

― まず、皆さんはなぜ政治家を志したのでしょうか

小 川 私は総務省にいたが、世の中の仕組みを変えるのは、役所の限界を超えており、政治家がやらなければいけない。そこへ自分が出て、賭けてみたい、と考えました。
佐 藤 少子高齢化が進む中、「官から民」「小さな政府」の実現が大事だと思った。言いたい放題の評論家でなく、きちんと責任を持って政策を作りたかった。
川 条 松下政経塾で、たくさんの母親、主婦の声を聞きました。女性を守る制度は、男女雇用機会均等法以外にない。女性の制度を充実するために国政で働きたいと志しました。
橋 本 私は3世議員なので、小さい時から、国のために一生懸命働くことは尊敬すべきだという考えが理屈抜きであった。民間シンクタンクでも、コンサルタントの限界と政治の力を実感しました。

― 国会議員になって変わったこと、驚いたことは。

小 川 ほとんど何も変わっていません。ただ、国会は欠席とヤジが多いことに驚きました。我々は「意見が違っても相手の話は聞け」と教わってきたはずなのに。
佐 藤 自由に自分で買い物ができなくなりましたね。
川 条 一般の女性が言っても通らないことが、議員なら通る。だから、普通のお母さんのために私が言わないといけない、と痛感した。私は秘書に間違われることが多かったが、ある時、スーパーで半額の物を買ってレジに行ったら、「川条さんですね」と言われ、戦慄が走りました。
橋 本 自民党の部会では、1年生も大臣経験者も同じように発言できる。皆さんが納得する提案は次回の会合に反映される。「長幼の別なく、しっかり物が言える」というのが驚きです。お辞儀がやたら上手になった、とも言われます。
渡 部 お父さん(橋本元首相)はお辞儀をしなかったんですけどね。


 ■ 「チルドレン」

― 皆さん、「小泉チルドレン」と呼ばれますが。

橋 本 30歳を過ぎてチルドレンはどうかな、どいう気持ちはあるが、小泉首相の下で当選したのは事実で、期待の裏返しでもあると思います。
川 条 一般の人は、政治家としての不見識、政策のなさ、幼稚さの総称として「チルドレン」と言っていると思う。非常に失礼な言葉だと、私は憤りを覚えます。
佐 藤 小泉首相の改革の風、血筋を受けて誕生した私たちには、構遭改革路線を踏襲していく使命があります。その上で、次の選挙に向けて自分たちの個性を出さなければならない。プラスアルファが問われると思いますね。

― 渡部先生の新人議員時代はどうでしたか。

渡 部 1969年に自民党は300議席(追加公認を含む)を取り、新人44が当選した。今残っているのは綿貫(民輔)さんと森(喜朗)・羽田(孜)、小沢(一郎)君と僕の5人。小泉ブームで当選した(自民党新人)83人が次回も当選するのは大変ですよ。本当に値打ちのある者は残るし、ない人は消える。デモクラシーは権力の批判でもある。僕が1年生の時は当時の佐藤首相に文句を言うのが仕事だった。自民党の皆さんには時には、小泉君を厳しく批判してもらいたいな。


 ■ 世間のイメージ

― 楽をしながら、黒塗りの車で料亭に行くといったように、政治家に対する世間のイメージは良くありません。

渡 部 非常に誤解されている。僕は37年間議員をやっているが、2LDKの議員宿舎で一人暮らし。ついに東京で家を持てない。中学や大学の同級生は、私よりはるかに豊かな生活をしている。今までは「俺が日本の運命を担い、ふるさとを立派にしてやるんだ」という責任や誇りを持てたから、頑張れた。だが、最近、政治家の社会的地位が暴落し、もう尊敬されない。若い政治家たちは気の毒だ。
橋 本 「総理と呼ばないで」というTVドラマがありました。田村正和が首相で、豪邸に住み、鶴田真由がメード。当時の首相の家族としては、「こんなの、あり得ないよ」という気持ちでした。
小 川 経済が成長し、人口が増えていた時代は、パイを分配するのが政治家の仕事だった。今後、人口が減る低成長の時代は、痛みや負担をお願いする側に回る。両者を比べると、政治家に求められる信頼感の違いは大きい。旧来モデルの政治家の役割と今後の政治家の役割とのギャップが原因だと思います。
佐 藤 今後の政治家は、国民と対話をしながら、痛みを伴う改革を進めるという厳しいスタンスが問われます。
川 条 政治家のイメージが悪い原因は三つ。一つは、普通の人の金銭感覚とかけ離れて、経常経費として出入りするお金が大きい。二つ目は虚飾の世界。どんなに懐が苦しくても、やせ我慢し、服や車を立派にする方もいる。もう一つは時代性。国民は今までは重厚長大で安定感のある政治家を求めていたが、今は行動する政治家を求めている。


 ■ 派閥

― 派閥の効用と弊害についてはどう考えますか。川条さんは二階派ですね。

川 条 二階派は政策グループで、派閥ではない、と申し上げたい。お金も払っていないし、派閥から命令もない。逆に、政策の勉強会など、得るところばかりです。
渡 部 僕は「竹下派7奉行」なんて言われ、派閥そのもので生きてきた。中曽根内閣で初入閣したが、中曽根さんに大臣にしてもらった思いは全然ない。やっぱり(田中派の)田中(角栄)さんだ。だが、ポスト、選挙、お金という派閥の存在理由が、小泉政治と、小選挙区制、政党助成制度の導入でなくなった。
佐 藤 従来は派閥のボスや周囲の人間関係から学ぶ、政治家としての成長があった。今後は尊敬する先輩議員から個別につかみ取らなければならない。人間社会の開心や悩み事を調整し、最大公約数を見つけるのが、政治家の役目の一つ。その調整能力には人間の厚みや温かみが必要で、自分も磨かないといけない。
橋 本 自分も、勉強し、先輩方と接する場は欲しい。従来の派閥もそういう形に変質、(自民党新人83人の)「83会」のようなグループもできていくのでしょう。


 ■ ポスト小泉

― 小泉改革の評価、そして「ポスト小泉」の条件を挙げてください。

橋 本 郵政、三位一体、医療制度など、従来の社会システムの改革を実行してきたことは素晴らしい。小泉首相だからできた。ポスト小泉は、その路線を続けられるかどうか、という観点で考えたい。
川 条 小泉首相の実行力、行動力は非常に高く評価しています。ただ、(次の)首相は国民が決めるもの。
佐 藤 次の首相には構造改革路線をきちっと進めて頂きたい。そして、社会のモラルを維持できる人。日本人が無秩序になっているから。財政再建、増税をお願いする以上、明るい来来を描き、国民に伝えられることも大事です。
小 川 小泉さんは政界の意思決定の仕組みは変えたが、国民生活は変わっていない。今後は、権力闘争が天才的な小泉さんの対極をいくリーダーが必要だ。一つは、彼にはない理念、思想、哲学を持つこと。そして、彼の冷徹、切り捨て型ではなく、寛容、助け合いのキャラクターが必要。民主党政権を目指します。
渡 部 小泉さんの次は実質、福田(康夫)君か安倍(晋三)君かに決まっている。どちらかというと福田君の方がしっかりしている気がする。


 ■ 目標

― 1期目の目標は?

佐 藤 経済政策は当然やりたいが、それ以上に、今の荒廃した日本社会を良くしたい。保守主義への回帰が大事で、保守主義を徹底するための対話の場を作りたい。
川 条 女性の家庭と仕事の両立の支援です。家事・育児がきちんと評価されること再就職の促進、非正規社員の雇用保険などの充実。この三つを実現したい。
小 川 自分の政治生活は20年と想定しています。50代前半からは私的な人生を過ごしたい。その代わり20年間は命がけで、もう一つの政権与党を作る。1期目は、人間関係を広げ、強靱にするとともに、20〜30年先の日本に何が必要かを考え抜きたい。
橋 本 今は地域の自治、コミュニティーの機能が失われている。地方分権や道州制の道筋をつけられればいい。外交・安全保障の專門知識も深めたい。

― 最後に、若い皆さんに対する講評を。

渡 部 非常に責任感もあるし、勉強もしている。こういう若い人ならば明日の日本に希望が持てる。ただ、残念ながら、特別優秀な新人ばかりを集めており、これが全体の平均ではないんだな。



 初心忘れないで

 

 昨年初当選した衆院議員には、「議員らしくない」人が多い。永田町の既成の政治家とは、どこか違う香りが漂う。だからこそ、有権者は「何かが変わる」と期待を寄せているのだろう。座談会を通じて、良い意味での異質さに加え、自分の専門分野を持ち真摯に国政に取り組もうとしている姿勢をひしひしと感じた。
 願わくば、初心を忘れず、国政がより国民に近づくよう活動を続けてほしい。新しさの追求だけではなく、渡部氏のようなベテラン議員の言葉にも謙虚に耳を傾けながら。



  (読売新聞 2006年1月1日)